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日本フットサル三国志/第1章 フットサルの原点/その1 それは北海道から始まった

フットサルプレイヤーのためのポータルサイト「みんサル」からの記事を転載となります。


関東フットサル三国志の書き出しは1996年開催の第1回全日本フットサル選手権からであった。しかし、フットサルの歴史をひも解くならば北海道について触れないわけにはいかない。なぜなら、なんとその25年前の1971年、日本に初めてフットサルをもたらした人物は札幌大学の柴田勗(つとむ)教授と言われているからだ。教授は当時札幌大学のサッカー部の監督で、北海道の気候から冬のサッカー訓練に役立つ南米式の室内サッカー競技のサロンフットボールを研究、導入したのだ。フットサルの前身がサロンフットボールであったことはよく知られている。いまだに北海道のフットサル人口が多いのはそんな歴史からくるのである。ちなみにサロンフットボールとフットサルは似ているとはいえ、ルールはだいぶ違っていて、ペナルティーエリア内でのゴールは認められないとか交代は自由ではなく回数制限がある。

柴田がもたらしたサロンフットボールは北海道の環境にマッチし、またたくまに一般に広がっていった。なにせ北海道は11月から3月くらいまでは室内でしかサッカーができないので室内サッカー=サロンフットボールをやらざるを得ない環境にあったのである。
2017年の北海道サッカー協会によればフットサルの小学生チームが男子109チーム、女子26チーム登録されているという。また、毎年1月に札幌ドームで開催される「コンサドーレ・エスポラーダカップ全道市町村サッカー・フットサル大会」では全道から324チーム、3千から4千人が集まったそうである。

 

このような背景から、フットサルの黎明期の頃には北海道からフットサルを牽引する指導者が数多く輩出されている。古い順でいうと、フットサル日本代表初代監督のマリーニョである。輩出とはちょっと大げさであるが、ブラジルでプロ選手であったマリーニョは1975年札幌大学の留学生として来日、札幌大サッカー部選手として大学選手権で活躍している。来日は、おそらく前述した経緯の縁で生まれたものであろう。その後、JSLのフジタ工業に入社、天皇杯制覇に貢献したことはよく知られている。マリーニョがフットサル日本代表監督になったのは1999年の第1回アジア選手権からで45歳の時である。日本フットサル三国志に登場するにはもう少し時間が必要である。

 

次なる人物も日本代表監督経験者で原田理人(みちと)である。北海道出身で18歳の頃になるが第1回北海道サロンフットボールフェスティバルに出場している。日本代表監督になったのは第3回アジア選手権監督の木村和司のあとである。同じく、本稿に登場するのはだいぶあとのことになる。原田は、フェスティバルに参加後もサロンフットボールに傾注、1985年に行われた第1回全日本選抜サロンフットボール選手権(現全国選抜フットサル選手権)に札幌蹴球隊メンバーとして参加、初優勝ばかりでなく2連覇する活躍をみせている。しかもその活躍が認められ、この年行われた第2回サロンフットボール世界選手権大会日本代表(監督 栄隆男)メンバーにも選ばれた。現在も日本フットサル連盟副会長としてフットサルの発展に貢献している。

 

3番目の人物は現エスポラード北海道監督の小野寺隆彦である。小野寺も現役時代は名手で鳴らした選手でこの頃はサロンフットボールがフットサルと改められ浸透しつつある時代であり、FIFA管轄になった1996年開催のFIFAフットサル世界選手権アジア予選(香港で行われた予選で監督はマリーニョ)では日本代表に選ばれている。実をいうと小野寺は1974年生まれ、一方、第1回フットサルアジア選手権の日本代表でFUTUROの名手上村信之介は1975年生まれで同世代、2人はこの大会に一緒に出場しているのである。(のちに登場するが藤井健太も選ばれている)

上村はサロンフットボールが盛んだった府中出身でフットサルに触れるのはサロンフットボールが最初であり、奇しくも北海道と府中のサロンフットボール経験者が同じ日本代表のチームメンバーだったことは歴史的には必然だったのであろう。

 

さて、以上3人をピックアップしたが、これはサロンフットボールがフットサルに変わりつつある時代での話で、もはやフットサルの時代になって北海道の知名度を挙げた人物が二人いる。これは次回のお楽しみにしよう。

 

ところで 記念すべき第1回の写真は、北海道出身のフットサル・サッカーライター北健一郎提供、第6回地域チャンピオンズリーグ優勝のDC旭川の写真にしよう。

DC旭川は前述したFリーグ参戦のエスポラーダ北海道の前身となるチームでこの時の多くの選手がエスポラーダ北海道に移籍している。菅原和紀、嵯峨佑太、佐々木洋文、荒井紀弘、辻良樹、高山剛寛らである。さすが北海道らしく、細かくパスをつないで相手を翻弄するようなフットサルらしいフットサルをするチームで、決勝ではマグ(今のシュライカー大阪)を破っての優勝であった。今回のテーマにふさわしい写真といえよう。しかも、地域チャンピオンズリーグの前身といえば、最終的には全日本選抜サロンフットボール選手権に辿り着く。

 

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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