ピヴォ×みんサル

日本フットサル三国志/第1章 フットサルの原点/その2 北海道から世界へ

フットサルプレイヤーのためのポータルサイト「みんサル」からの記事を転載となります。


その2 北海道から世界へ

日本フットサル三国志の執筆テーマがなるべく横断的に、グローバルにという観点から、「北海道から世界に」にふさわしい人物を紹介しよう。
まず第1番目は、北海道出身、フットサル日本代表、スペイン一部リーグプレイヤーまで上り詰めた高橋健介である。
高橋は1982年生まれなのでその頃はもはやサロンフットボールもフットサルも区別がない時代になっていた。しかし、北海道の小学生時代、サッカークラブに在籍していたから、恐らく冬場はフットサルをやっていたと思われる。高校は旭川実業高校で高橋が3年次にキャプテンとして同校では初の全日本高校サッカー選手権出場に導いている。
順天堂大学に進学したが、遊び感覚でやっていたフットサルでめきめき頭角を現し、フットサル日本代表にも選ばれるようになった。いったんは就職したもののついにはFクラブ「バルドラール浦安」に入団することになる。彼の競技歴は順風満帆、2004年の4月のアジアフットサル選手権に選ばれると、11月のFIFAフットサル世界選手権では歴代最年少で出場、壮行試合のアルゼンチン戦で鮮やかな先制ゴールを挙げるとシンデレラボーイと話題になったものである。また、海外にも進出、2008年にはスペイン1部リーグのセゴビアとプロ契約を結び、海外で活躍した。
早い段階でフットサルのこれだけの実績を出せたのは、小学生時代のフットサル経験にあったのではないだろうか。高橋は2017年に選手を引退後、バルドラール浦安の監督を務めたあと現在はインドネシア代表監督を務めている。Fリーグ引退後、海外の監督経験の先鞭をつけたわけであるが、北海道からアジアへのグローバルな展開はこれからのフットサルの希望につながるものである。

さて、2番目の人物は三浦知良である。三浦が2011年の12月、エスポラーダ北海道に入団、Fリーグ参入の記事はおおいに世間の注目を集めた。これだけでも世間を驚かせたものだが、翌年9月に11月開催のワールドカップメンバーに招集の発表は、いっきにフットサルの知名度を上げた。おそらくは筋書きは出来ていたと思われるが、三浦のフットサルのプレーには違和感はなかった。
それもそのはず、三浦は1982年、高校1年でブラジルに渡ったのだが、その頃はまだブラジルはサロンフットボールが盛んだった時代である。ちなみに同年ブラジルで第1回世界サロンフットボール選手権が開かれている。三浦が日本に戻って来た移籍先の読売ヴェルディはブラジル流サッカーであり、フットサル要素が詰まった練習、ゲームをしていたのでずっとフットサルがついて回っていたのだろう。実際、エスポラーダ北海道入団時点のスポーツナビのインタビューでは三浦はこう答えている。
「最初にフットサルをやったのは、日本でフットサルというか、体育館でミニサッカーをよくやったんです。本格的な、今の形のフットサルを最初にやったのは、ブラジルに渡った最初の年、16歳になったときにジュベントスのチームでサッカーをやっていたんですけど。そのフットサルチームの監督から「やってみないか」と誘われてやったのが最初です。
今から28年くらい前の話です。その時は、目の前にあるボールとは違うボールでしたし、ルールも若干違いました。その意味では不安もあるんですが、そのへんはしっかり勉強してやりたいなと思います。
子供の時ですけど、サンパウロでメトロポリターノという大会があるんですけど、最後にサンパウロと決勝をやって優勝した思い出があります。とてもいい思い出ですし、フットサルをやることによって自分のサッカーにもすごく生かせたこともたくさんあった。その意味では、また新たにフットサルをやることによって、自分のサッカーにも新しい発見があるんではないかと思っています。」

三浦がなぜエスポラーダ北海道に入団したかは、想像でしかないが、「エスポラーダ北海道」と三浦が所属する「横浜FC」のスポンサーが同じ給食会社「LEOC」だったからと思われる。「LEOC」はヴェルディ時代から三浦を応援しており、「LEOC」と三浦の縁は深いといわれている。

しかし、今考えても、三浦知良のフットサルデビューは「エスポラーダ北海道」が最もふさわしく、それはサロンフットボールひいてはフットサルが結び付けたものではないだろか。

さて、写真はむろん三浦知良で、この写真は三浦が日本に戻ってきて、ヴェルディの読売ランドでの練習時の写真である。当時の読売ランドでは子供のサッカースクールやジュニアユースの練習をやっていて、子供たちの憧れの的であった。
しかし、その中に木暮賢一郎がいて、約20年後の2012年、タイで行われたフットサルワールドカップでチームメイトになるとは誰も思わなかったであろう。

次回は、三浦も触れていたサロンフットボールとミニサッカーの違いについて考えてみたい。

 

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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