ピヴォ×みんサル

日本フットサル三国志/ 第1章 フットサルの原点/その4 ガーデンフットボール

フットサルプレイヤーのためのポータルサイト「みんサル」からの記事を転載となります。


 

その4 ガーデンフットボール

 

1979年に開催された第1回全国小学生総合ミニサッカー大会のカテゴリーには6人制の屋外サッカー(ガーデンフットボール)、8人制のミニサッカー、5人制の室内サッカー(サロンフットボール)があった。その後これらはどうなったのであろうか。

ここでまず着目したいのはガーデンフットボールで、それは屋外と定められているからである。今までの議論の中心であったサロンフットボールのサロンは室内を意味するからその逆だ。

となると、誰でも思うのは屋外型のフットサル施設であろう。実際、ガーデンという呼称は、フットサル施設名に多く継承されている。当時の日本人にとってはガーデン(庭園)という響きは憧れ的な名称であり、芝を思い起こさせる。やがて、その芝は人工芝となり、人工芝によるフットサル施設の誕生へと進んでいくのだ。今や、屋内も含めていわゆるフットサルコートは日本に500施設あると言われているが、人工芝仕様は日本独特のものである。最初にこの仕様を考え、仕掛けた人物はもう少しあとから登場するが敬意を表したいものである。

また、一部の地方のサッカー協会では小学低学年を中心にガーデン大会を今でも開催している。ガーデン大会という名称ではなく直接的にミニサッカーと称しているところもある。ルールも5人~8人千差万別で、交代自由、キックインなどはフットサルに似ているが子供だけに4秒ルールは適用しない、ボールサイスも必ずしもフットサル仕様と規定はしていないなど異なるものである。恐らくは、ミニサッカー協会時代に作られたルールがいろいろな形で継承されているのではないだろうか。

次に8人制のミニサッカーはというと、正式サッカーのミニチュア版という意味で根強く支持され、前回紹介した「ミニサッカーのいろいろ」でも最初に取り上げられている。異なる点がグランドの大きさが半分であること、競技人数が8人であることと定義されている。最終的にはミニが取れて8人制サッカーへと受け継がれていくのだが、これは次回に。

最後に、少年の5人制室内サッカーであるが、これは1991年に第1回全日本少年ミニサッカー大会として再スタートした。第1回大会は読売ヴェルディの下部組織である読売SCが優勝した。そこには奇しくもミニサッカー連盟が誕生した1979年生まれの木暮賢一郎がメンバーにいた。準優勝の沼津FCには小野伸二がいたことがこの大会の歴史を語る時、よく引き合いに出されるものである。1997年の第7回大会からFIFA管轄のフットサル名称、ルール乗っ取り、全日本少年フットサル大会に改めら、現在はJFAU-12フットサル大会となっている。スポンサーがついてバーモントカップとも言われている。

今回の写真は5人制の室内サッカーの流れを汲み、当初はミニサッカー大会と呼ばれた1991年の第1回全日本少年ミニサッカー大会の決勝戦の試合模様としよう。すでに述べたとおり、第1回大会は読売ヴェルディの下部組織である木暮がいた読売SCが優勝した。決勝の相手は沼津FCでそこには小野伸二がいた。これはその証拠写真である。(笑い)

手前、シュートを打つのが木暮、後方には小野伸二が写っている。

次回のテーマは8人制サッカーの登場である。今話題のサッカーアジア選手権、日本代表の堂安律は8人制サッカー育ちだという。お楽しみに。

 

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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