ピヴォ×みんサル

日本フットサル三国志 第2章 あのチームはどうなった(府中アスレ) その2 因縁の対決名古屋オーシャンズ

フットサルプレイヤーのためのポータルサイト「みんサル」からの記事を転載となります。


 

その2 因縁の対決名古屋オーシャンズ

 

第24回全日本フットサル選手権の決勝、立川・府中アスレティック対名古屋オーシャンズは、名古屋に押しこまれる展開で始まった。立川・府中としてはこの展開は想定内でカウンター攻撃に活路を見出そうとしている。しかし、なかなか決定機が作れない。それでも前半9分までは持ちこたえたが、名古屋の8番ペピータに個人技で左から右の横ドリブルから最後は振り向き気味の豪快なシュート、さすが名手GKクロモトも取れない逆サイドの右スミ上にずどんと決められ先制点を奪われる。その後も似たような展開が続き、終わってみれば立川・府中は0-6の完敗でこの選手権を終えた。

ところで、読者の皆さんは今から12年前の2007年の第12回大会で両者は決勝戦で当たっていることを覚えておられるであろうか。因縁の対決というタイトルでピンときた方もおられると思う。その12回大会とはFリーグ設立前の最後の選手権大会であり、しかも、すでにFリーグ加入が決まっている大洋薬品BANFFと落選が決まった府中アスレティックとの対戦であった。大洋薬品BANFFは、このあと、Fリーグのチーム名称の規約でホームタウンの名称を入れなくてはならないことから名古屋オーシャンズと名称変更した。

「こうして、翌日、決勝は、参入組対落選組、名古屋対東京の戦いとなった。結果は、後半0-1から府中アスレティックが一時期同点に追いつき、会場は騒然となった。なぜなら、府中は退場者を出してフィールドプレーヤー3人となりながら、前田のコーナーキックから同点にしたからである。その後も府中は再三良いチャンスを作った。しかし、さらに追加点を奪われ、残り4分、前田のパワープレーで府中は追いつこうとする。いつしか、会場は完全に府中贔屓になった。むろん、場所が東京ということもあろう、強いバンフに対する判官贔屓ということもあろう。恐らく、この時から、バンフのちの名古屋オーシャンズは、リーグのヒール役になったのではないだろうか。そして、この雰囲気が、2年後の同じ選手権決勝、名古屋オーシャンズ対フウガで再現するとは、駒沢体育館を埋め尽くした2500人の観客は誰も想像できなかった。
結果は3-1でバンフが勝利、天下統一の証の一冠を手に入れるのだった。バンフには、喜びもあったが、プロチームはヒールといわれようとも勝たねばならないプレッシャーからの開放、安堵感の方が大きかったのではないだろうか。」

これは「関東フットサル三国志」の約8年前の記述である。振り返ってみると、府中にとってはこの時が地域リーグ時代のピークであった。というのも来年度からFリーグが始まることから地域リーグからFリーグに向けて大量移籍が始まったからである。とりわけ府中の影響が大きかった。このことは同じく「関東フットサル三国志」ではこう書いている。

「2007年3月末にFリーグの選手登録の1次が締め切られた。2次登録は、外国選手の移籍を考慮し、外国のリーグが終わる5月を過ぎた6月から7月に行われる予定であった。選手の登録枠は20名、今回登録数に、2次で5名まで追加、入れ替えが可能である。
発表された選手リストを見てみると、府中と名古屋の特別な関係が注目となった。なぜなら、名古屋オーシャンズは、リーグ全体のレベルの均衡に考慮し、町田や浦安などの参入クラブからの移籍を避けており、そうなると必然的に参入していないクラブで力がある府中アスレティック、ファイルフォックスなどの選手にオファーが集中するからである。また、かって縁があった眞境名オスカーが監督になったことも影響している。
一方、府中側の選手にとっても名古屋のオファーを受ける魅力があった。それは、まずは少なくともこのままでいたら2年間は、Fリーグの舞台に立てないこと、次にプロ選手の待遇であり、なによりも2部練、専用コートなどフットサルに専念できる環境が用意されていることである。
かくて、両者の利害が一致、この3月の締め切りで、府中アスレティックから前田、完山、小山剛史の移籍が実現した。前シーズンの大洋薬品BANFFの時の定永、森岡、途中からであるが、難波田(いずれもファイルフォックス)を加えると、実に6人がゆかりの府中から名古屋オーシャンズに移籍したことになる。」

以上が過去の振り返りであるが、府中アスレティックが当時のどん底に近い状態から12年、しかも地元府中の体育館から離れることになった最初のシーズンに今回のFリーグ参入後最高成績の3位、12年ぶりの全日本選手権準優勝を果たした背景には、「フットサルの街府中」の底力、意地があったからに違いない。それと忘れてはならないのは、谷本俊介監督の手腕に負うところが大きい。

谷本俊介は、1982年、大阪で生まれ、中学時代は両親の関係で香川に引っ越し、高知大学卒業の37歳である。府中とは縁もゆかりもない。しかも、選手としても無名である。唯一、母校のサッカー部コーチ、フットサルではボルク北九州(現在はボルクパレット北九州となってF2に昇格)で選手兼コーチの経験があるだけである。そんな谷本であったが、チーム作りやコーチングに対する思い入れは人一倍強く、かつ、勉強熱心だったという。谷本がスタッフ募集で府中アスレティックの門を叩いたのは、2010年、そしてコーチ、サテライトの監督を経て、31歳の若さで監督就任となった。選手と年は変わらず、選手経験も劣ると心配する向きもあったが、恐らく、チーム作り、チームの経営という視点を持っていたからこそ、同年代の選手を引っ張っていけたのであろう。
監督に抜擢した府中GM中村恭平は、デジタルピヴォプラスのインタビューでこう答えている。

「アスレというクラブの理念や方針を理解した指導者であることという大前提のもとに選びました」と語り、次のように続けた。「ただ単に勝てばいいっていうだけでは、クラブの経営全体のことを考えたら、ファンもつかなくなくなり、失格です。自分のやりたいフットサル、勝つフットサルのために選手をバッサリ切って、入れ替えて、自由にやるっていうことでは、そこについていたファンの人たちの信頼を失っていきます。やっぱりそこは、ちゃんとチームをビルドアップしていくことができる監督っていうことで、内側から出そうということになり、谷本という若い力に期待して抜擢しました」

その谷本は、6シーズン続けた監督を退任、今度はより経営レベルに近い中長期を見据えたチームの強化を司るテクニカルダイレクターに就任することになった。これからも名選手でなくても指導者の道は開けることを若い選手たちに示して欲しいし、今回は0-6で名古屋オーシャンズに大敗したが、名古屋オーシャンズを倒すチーム作りを目指して欲しいものである。

なぜなら、今シーズンも含めて過去5年間の名古屋オーシャンズとの対戦成績を調べてみると、府中が4勝3引き分けで一番名古屋を倒せる位置に近いからである。2位がシュライカー大阪で3勝1分け、3位がバサジイ大分で2勝5引き分け、以下、浦安の2勝1分け、神戸、北海道の1勝2分け、フウガの2分けと続く。逆にいえば、5年間でこれだけしか名古屋に勝っていないのである。ちなみに唯一シュライカー大阪が1シーズンで2勝、勝ち越しをしていて、そのシーズン優勝している。優勝するにはやはり名古屋に勝ち越しが必須条件ではなかろうか。

さて、写真であるが、準優勝で無念の表彰を受けるキャプテン皆本晃をはじめとする選手一同とした。今度は優勝の写真を撮りたいものである。

 

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

コメント

みんサル

個サルを検索する ひとりでも参加できる個サルやイベントに行ってみよう!

大会にエントリーする 仲間や友達を集めてフットサル大会に参加しよう!

全国のフットサル施設 全国のフットサル施設からお気に入りの場所を探そう!

RANKING

Special Thanks

  • ベストパートナー
  • ボアスコンプラス