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日本フットサル三国志 あのチームはどうなった(府中アスレ) その3 府中アスレのルーツを訪ねて

フットサルプレイヤーのためのポータルサイト「みんサル」からの記事を転載となります。


 

その3 府中アスレのルーツを訪ねて

 

立川・府中アスレティックは長年ホームだった府中市立総合体育館を離れ、ホームアリーナを民間施設アリーナ立川立飛として再出発、第24回全日本フットサル選手権を準優勝という成績を納めることができた。ホームタウンに立川を加えることで伝統あるフットサルの街府中継続の面目は保ったわけであるが、そこに至るまでのチーム関係者、支援関係者の苦労は並大抵のものではなかったろう。
では、府中アスレティックのルーツはどんなもであったろうか。今となっては知らない人も多いと思うのでルーツを訪ねてみよう。そこには知る人ぞ知る多くのドラマがあった。

府中アスレティックのホームページを見てみると、クラブの正式名称はNPO法人府中アスレティックフットボールクラブで法人登記は2003年5月28日とある。今から約16年前であり、16年の歴史を数えるクラブということになる。しかし、府中アスレティックの名前が登場するのは、2000年8月に設立された私的ではあるが伝説的なリーグとして有名なスーパーリーグに初登場する。つまり、法人登記より先行して2000年には活動していたことになる。
どういうことかというと、もともと府中アスレティックの源流は府中水元クラブにあり、その名前は第1回全日本フットサル選手権に出場するためにサッカーチームの名前を借りたものであった。当時、府中はサロンフットボールが盛んであり、これを広めようとしていた中村恭平(現府中アスレティック副理事長、元同監督)、松村栄寿(現関東フットサル連盟理事長、元ファイルフォックス監督)が立ち上げた。
しかし、そのままフットサルを継続的に活動していくことになり、なんと第2回の全日本選手権では優勝してしまうほど強くなった。(その辺の経緯は関東フットサル三国志を参照されたい。)さらに、都のフットサルリーグに参加、2000年の3月にスタートした都県上位の関東リーグに昇格するに至ったのである。サッカー協会管轄の公式リーグである第1回関東フットサルリーグには、以下のチームが参加した。東京都からは府中水元クラブ、ガロ、小金井ジュール、東京リーグ選抜、神奈川県からウイニングドッグ、エスポルチ藤沢、ぺったんこ、千葉県からプレデター、千葉リーグ選抜、茨城県からマルバ、F.U.A、群馬県から渋川カルテットの12チームである。当時はまだ独立して運営できるチームが少なく、選抜を組んでリーグを成立させる苦労が見受けられる。もっとも、リーグ戦とはいっても通年リーグではなく、短期の開催であり、選手、関係者からは不満の声があった。

府中水元クラブを立ち上げた中村恭平は、確実に競技フットサル熱が高まることを予測し、スーパーリーグ設立にも賛同、主導していたことから、ファイルフォックス設立(当時は眞境名オスカーが関東)にともなう人材流出(上村信之介ら)などがあったが、より強いチーム、本格的なフットサルクラブを目指して、スーパーリーグ発足を機会に府中水元クラブから分離独立、府中アスレティックを設立したのである。

スーパーリーグとは、前述したように最初は関東リーグといっても通年のリーグではなく、フットサルをより強く、普及させていくには通年のリーグが必要という強い思いから府中水元クラブの中村恭平、プレデターの塩谷竜生ら有志が立ち上げた私的なリーグである。参加クラブは、設立2年目の2001年になると、カスカベウ、ロンドリーナ、府中アスレティック、プレデター、ガロ、シャークス、ブラックショーツ、関西からマグ&シーブラジルなどが参加、通年のリーグを実現した。

一方、府中水元クラブから人材を得て、日系ブラジル人を活用、全日本選手権を2連覇したファイルフォックスに同じ時期、思わぬ異変が起きる。眞境名オスカーの日系ブラジル人多用の路線の違いから、上村信之助ら主要メンバーがファイルフォックスから独立、フトゥーロを立ち上げたのだ。しかし、彼らにはすぐには活躍の場がない。なぜなら、関東リーグに参入するには都リーグで1位か2位にならないと参入できないからである。そこで、彼らの古巣であった府中水元クラブに戻り、その後にフトゥーロに名称変更することとした。実際、名称変更になったのは2001年5月開始の第3回関東リーグからである。ちなみに、関東リーグが通年リーグになったのがその第3回からで、第2回は2001年の3月、第1回は2000年の3月の短期開催であった。
また、短期開催であったため、多くのチームはスーパーリーグと関東リーグ掛け持ちで参加していた。しかし、関東リーグが通年リーグとなった2001年からは、掛け持ちのチームはスーパーリーグには物理的に参加が厳しい状態となった。なんとか掛け持ちをこなしていたが、ついに2002年シーズンをもってスーパーリーグは終了となってしまった。最後の優勝チームはシャークスでシャークスは第5回関東リーグに参入、初挑戦で初優勝を記録した。このように、スーパーリーグは関東リーグに吸収される形で消滅してしまったが、チーム強化、リーグ運営の充実、フットサルの普及などに与えた影響は大きい。

そうはいっても、リーグの統合には課題があった。強いカスカベウ、府中アスレティックは都県リーグの実績がないため、関東リーグに参加する資格がないのである。ファイルフォックスでさえ、全国選手権で優勝はしたが、都リーグで勝ち上がる必要があり、関東リーグ参戦は第3回からであった。(今は東京都だけでも3部リーグあるので、関東リーグに参入するには3年かかるが、当時は1部だけであった)
そこで、両チームは2001年に東京都リーグに参戦、さすが実力はあるので都リーグでは両チーム1位、2位となり、参入戦参加資格を得た。続けて参入戦(各都県の上位チームの大会)も1位、2位となり、両チーム同時に関東リーグ参入を果たしたのである。なお、この時の結果は、3-3の同点、最後はPK戦で都リーグとは逆に府中アスレティックが1位フィニッシュであった。関係者は同時参入の結果に胸をなでおろしたことであろう。
この結果、2002年第4回関東リーグで初めて、強いチームが揃う関東リーグとなった。ちなみに、ファイルフォックス、名称変更のフトゥーロ、ガロ、小金井ジュール(以上東京都)、ロンドリーナ、ブラックショーツ(以上神奈川)、プレデター、キューピー、メイクナイン(以上千葉)、マルバ(茨城)、そして新参入の府中アスレティック、カスアベウである。(順不同、便宜上カナ表記)

以上が府中アスレティックのルーツである。こうして、フットサルの街府中には強い3チームが拠点を構えることになるのだった。もっとも、当時は拠点といっても主練習場が該当地域にあるくらいで、本格的に法人化して事務所も定めたのは府中アスレティクだけで、それが2003年のことというわけである。
また、この頃、ようやく関東の競技フットサル勢力図が固まり、いずれはFリーグへと発展していく。もっとも、フウガは少し遅れてやって来るが。。。。

さて、写真は当時のチームの合従連衡の様子を図にまとめてみたものにしよう。府中アスレティックのルーツである府中圏がいかに当時の競技フットサル界に影響を及ぼしていたかわかるであろう。もっとも、この3チーム体制がいざ、Fリーグ参入時に課題となるのであるが、この話はもっと先の話としよう。

 

木暮知彦

みんサル運営会社のピープルスポーツ株式会社社長。1999年の第1回の関東フットサルリーグ、伝説のスーパーリーグの立ち上げなどに関わった。自らはFIRE FOXの代表として、リーグ優勝、フットサル選手権の優勝を経験した。元フットサル日本代表木暮 賢一郎の父親でもある。

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