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『長野で広めるためには何でも』元Jリーガーが経験したクラブがプロに変わる瞬間(土橋宏由樹・ボアルース長野GM)【2/3】

2018年6月6日、東京
PHOTO,TEXT・佐藤功

ボアルース長野GM・土橋宏由樹さんは元Jリーガーである。長野との出会いは2006年。当時J2だったヴァンフォーレ甲府から、当時北信越リーグにの松本山雅への移籍だった。アマチュアクラブがプロクラブへ駆けあがる過程を体験した裏で、フットサルとのつながりが生まれていた。(2018年6月6日収録)

『選手たちの人生と向き合わないといけない』クラブと選手と地域がつながる信頼関係(土橋宏由樹・ボアルース長野GM)【1/3】

▼一緒にクラブを作っていったサッカー選手

――土橋さんは1977年生まれですので、サッカーの黄金世代と同じ時代になりますよね。

土橋 ちょうど挟まれている感じなんですよ。1個上に中田英寿さんや松田直樹さん、宮本恒之さんがいて、僕らの下に小野伸二選手とか稲本潤一選手の世代がいます。僕らの代でいうと、柳沢(敦)さん、平瀬(智行)さん、船越(優蔵)さん、式田(高義)さんですね。

――Jリーグが開幕が1993年ですので、土橋さんは当時高校生です。それまで、サッカーをやっていても将来は実業団ぐらいしか道がなかったところが、急にプロができた。そのインパクトは大きかったと思いますが。

土橋 あれがきっかけですよね。サッカー選手になりたいとずっと小さい頃から思っていましたけど、それまでは実際に日本にはプロのサッカーリーグは存在しなかったわけですから。アバウトな夢だったのが高校1年の時にすごく現実的になった、目標に変わった瞬間ですね。

――その目標だったJリーガーの前にドイツに留学されています。なぜドイツだったのでしょうか?

土橋 自分がプロサッカー選手になるためには、戦術だとか組織や力強さを身に付けないといけないと考えてヨーロッパに行きたいと思ったんですよ。その時にたまたま高校の先生がドイツとつながっていて、奥寺(康彦)さんがドイツのブレーメンでプレーをしていた時のマネージャさんを紹介してもらって、ブレーメンに留学したんですよ。高校を卒業した後の2年間いました。

――1996年には、ドイツはイングランドでの欧州選手権を優勝しています。

土橋 僕が行った時は、マテウスとかクリンスマンとかベテランがバイエルンにいましたよ。マネージャーがブレーメンのスタジアムのピッチレベルの端っこに椅子を並べてくれて、そこに座っていたらクリンスマンがすぐそこを歩いていて、クリンスマンかっこいいなって観てましたね。

――そこから帰国をした1998年、当時J2のヴァンフォーレ甲府に入団します。どういった経緯だったのでしょうか?

土橋 ビザの申請で日本に帰っていた時に、日本にいるなら練習参加しないかと声かけてもらったのがきっかけですね。当時、甲府の監督だった塚田(雄二)さんは、僕が小さい時に指導してくれた方だったんですよ。それで1ヶ月ぐらい練習をしていたら甲府からオファーをもらったんです。ビザも時間がかかると言われていましたしドイツはあくまで留学ですから、何かの縁だしいいきっかけだなと思って甲府と契約をしました。

――ちょうどJ2ができた時ですよね。

土橋 そう、J2元年からなんですよ。JFL最後の年に練習生で1ヶ月やっていて、来年からJ2が開幕する時に入団しました。

――現役時代は、守備的MFということですが。

土橋 いろんなポジションやりすぎて、もはや自分がどのポジションだったのかなみたいな(笑)。DFもやっていましたからね。元々は攻撃的な選手で、ゲームメーカータイプだったんですよ。パスでさばいていくというタイプだったんですけど、ケガ人が出たらそういう時にだいたい僕うまくハマるんでしょうね。ここのポジションそこそこできるなみたいな感じで、そこをやらされ、また別のところをやらされで、いろんなポジションを経験しましたね。一番落ち着いたのはボランチだと思いますよ。

――その甲府がJ1昇格を決めた翌年、2006年に松本山雅へ移籍します。これはプロであるJ2から、アマチュアの北信越という地域リーグですからかなり悩まれたと思いますが。

土橋 そうですね、そもそも、松本山雅ってどこ?みたいなところからでしたね。2005年に甲府を退団した時に、昔のチームメイトで松本山雅でプレーをしていた選手に「松本山雅って知っている?」って言われたのが最初です。全然興味がなかったんですが、アルウィンという素晴らしいスタジアムがあって熱いサポーターたちもいて、長野のサッカーをどう盛り上げていけるのかというモチベーションになってきたんですよね。引退も考えていましたけど、もう一度サッカーを楽しみたい、子供の頃のように楽しめる環境でやろうと。カテゴリーは関係なかったですね。当時の社長も熱心に甲府まで足を運んでいただいて、最後は松本に行こうと決めました。それで松本に入ったら、僕を誘った元チームメイトが辞めていったという(笑)。でもその後、彼は松本に戻って来たんですよ。今の松本山雅の神田(文之)社長なんです。

――J2と地域リーグのギャップのようなものはありましたか?

土橋 最初のうちはギャップだらけでしたね。最初は練習は土の高校のグラウンドで夜だったんですよ。長野県の冬の土ってカチカチなんですよ、氷の上でやっているんじゃないかってぐらい。膝壊れるぞ、みたいな状況でしたね。

――当時の松本は、働きながらやっている選手は何人ぐらいいたのでしょうか?

土橋 ほとんどですよ。僕も含めて4、5人だけがプロで、あとはみんなアマチュア契約でしたね。チームメイトも仕事を丸一日やってから来るわけですから、そりゃ疲れてますよね。ちょっと練習が締まらないとかもありました。でも、クラブがJリーグを目指していましたから、元Jリーガーという肩書きで来ている僕らがアマチュアの選手に合わせていたら現場のレベルが上がらないと思って、ピッチや練習でやることやっていないやつには厳しく言ったりしましたね。きついかもしれないけど、働いている選手も一緒にがんばってくれましたよね。プライベートの時は、みんなで飲みに行って盛り上げていました。

――クラブもお手本と言いますか、そういうものも示してほしいと。

土橋 甲府の最初の3年間は最下位で、チームが解散すると言われてメインスポンサーもなくてなんとかチームを存続していた時期でした。そこから僕が最後にいた7年目にはJ1に昇格しました。このどん底から昇格まで経験を評価していただいて、松本山雅で動員も含めてチーム全体を引っ張ってほしいと打診されていたんですよ。

――一選手ではない、運営やすべてのものがあってモチベーションにつながったんですね。

土橋 そうですね。フロントの人たちと一緒にクラブを作っていくということをやっていましたね。その当時ビラだけじゃもらってもらえないと思って、ティッシュ配りを提案したんですよ。中に入れるチラシのデザインも僕らで考えましたね。僕らプロ選手は、そのチラシに一番いい時の肩書を書くんです。元浦和レッズ、元鹿島アントラーズ、元ヴァンフォーレ甲府とか。前の所属は違う選手もいるんですけど、わざと元Jリーガーの肩書にして、もらった人が松本山雅にレッズの人がいるんだとかヴァンフォーレの人がいるんだってなるようにしたんですよ。プロの選手たちでチラシをティッシュに入れて、サポーターの人にお願いして一緒に駅前で配りましたね。

▼長野のために

――その松本が2年で終わった2008年、お隣のAC長野パルセイロに移籍します。ライバルチームへの移籍は当時、衝撃的だったと思います。

土橋 自分が思っている以上でしたね。『信州のフィーゴ』とか『最も愛され最も憎まれる男』とか言われました。松本でコーチになってほしいと打診があったんですよね。でも、2007年に地域リーグでMVPを獲って調子もよかったのでもっと選手を続けたい。そうなると移籍しかないですよね。いくつか話が来たんですが、そのひとつが長野パルセイロだったんですね。当時、長野の監督だったバドゥさんが、何度も松本まで足運んでくれて、僕が松本に移籍した時と似たフロントの熱意を感じて、この人たち裏切られないなと思って長野に決めました。松本から長野に移籍しても、長野県にいるわけですしね。長野県にJリーグがないのはおかしいとか、子供たちが小学校の校庭で野球をやっているところしか見ないとか、その環境を変えたいと思って長野に来たわけですからから。

――今となっては、逆に移籍をしたことで長野と松本が話題になって盛り上がりにつながったとも思います。その後、松本も長野もJに行きましたから、お互い相乗効果で盛り上がっていったダービーの理想だと思います。

土橋 そうですね。結果として両チームでキャプテンをして、同じカテゴリーで移籍したのは僕ぐらいだと思います。そのことがきっかけで話題になって、サッカーに目を向けてくれた方もいたと思いますし、ライバルチームがあることで負けたくないという気持ちで常に緊張感があって危機感も持ちながら競争意識の中でやれているのはいいですよね。スタジアムも改修されて長野のサッカー文化が根付きつつありますので、両チームに関われたことがすごく財産になっています。甲府も看板の数がJリーグで話題になっていますし、僕が関わったところは地域密着という形で盛り上がっていますので、本当にいいクラブに出会ったと思いますね。

――そして、長野で引退をされて長野のアンバサダーに就任されます。どういったお仕事をされてましたか?

土橋 パルセイロを広める、サッカーを広めるという何でも屋でしたね。サッカー教室をやったり、イベントに出てMC的ものもやったり、テレビで試合の告知や解説もやりましたね。5年間そういった活動をした後、たまたまボアルース長野が株式会社化になったんですよ。前から若林(順平)社長に、もしパルセイロを離れる時が来たらウチのクラブに来て一緒に手掛けてくれないかと言われていて、そのきっかけで2017年にボアルースに来ました。フットサルは元々好きだったんですよ。甲府にいた時に、フットサルチームを立ち上げたこともありますしね。

――現役の頃にですか?

土橋 そうですよ、2004年かな。今は山梨の県リーグに落ちましたけど、当時関東リーグにいたフュンフシュピーラー山梨というチームを立ち上げた張本人なんですよ。オフの時間を使って指導しに行ったりとか、仲間たちがプレーしているから観に行ったりもしました。デウソン神戸やフウガドールすみだにいた清水利生が高卒で入ってきて、プレーしてましたね。あと昔、芸能人女子フットサルチームの蹴竹Gでコーチをやらせてもらってたりとか。フットサルとけっこう関わりがあったんですよ。

『身近で楽しい、応援したくなるボアルースに』100年続くクラブの第一歩(土橋宏由樹・ボアルース長野GM)【3/3】

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