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「センターフォワードはピヴォ……これだ!」フットサルマガジンピヴォ! 誕生の瞬間(デジタルピヴォ!編集長・山下浩正)【1/3】

2000年4月、『フットサルマガジンピヴォ!』が創刊した。日本初のフットサル専門誌はどうやって誕生したのか? 日本フットサル界のメディアをつくった、現『デジタルピヴォ!』編集長、山下浩正が当時を振り返る。

(2017年4月24日収録)

▼2000年1月1日に、よーいドンでスタート

――山下さんはフットサルとどういった形で出会うことになったのでしょうか?

山下 昔ね、雑誌記者仲間とサッカーをやってたんだ。そのサッカー仲間に新しいもの好きのカメラマンがいて、「室内サッカーやろうよ」っていいだしてやったんだよ、フットサルを、生まれて初めて。そしたらおもしろくておもしろくて。こんなにおもしろいスポーツの専門誌があるのか、ないならオレたちがやるしかないみたいな勝手な思い込みがどんどん膨らんでいったんだ。そこから1999年、有明コロシアムのセンターコートに行って、全日本選手権を取材して自分でホチキス止めの小冊子を作って告知を始めたわけ。

――それが、雑誌『フットサルマガジンピヴォ!』のスタートだったんですね。雑誌として創刊されたのが2000年4月です。

山下 本格的に準備を始めたのが1999年の12月31日。大みそかにアパートの一室を契約して、2000年の1月1日に机を入れて、よーいドンでスタートした。ひとりで始めたけど、元気と体力があって頭のいい学生2人を知人に紹介してもらって、なんとか創刊にこぎつけた。みんな、創刊号を見た人たちはびっくりしてたよ、手作りの小冊子から書店で売られているまともな本になっているわけだから。

――わすか3人でですか?

山下 そう、しかもオレ4月の創刊までサラリーマンだったんだよ。4月まで会社にいるとボーナスがプラスされるから、そのメリットを生かすためにね。社内の理解者がとにかく形だけでいいから会社に来いっていうんで、徹夜でピヴォ!の仕事をして一睡もせずに会社に行って寝て、それを繰り返してた(笑)。

――その生活が3か月、4か月続いた末の創刊だったんですね。

山下 創刊にこぎ着けたときには涙が出ましたね。もう体はクタクタだった、若い子たちもクタクタだった。

――当時はまだプロが存在していない時代ですよね。

山下 今でもプロではないですけどね。そのこともあって、フットサルの本がやっていけるのか、というところもあった。ただオレは雑誌編集しかしてない人間なんで、ネタを集めて雑誌を作ることに何の不安もなかった。今振り返れば、創刊号がローカルなイベントのレポートばっかりでしょうもない本かもしれないけど、でも、確実にフットサルの足音は聞こえてきていた。なので、載るなら喜んでと熱心に情報を寄せてくれる方もいたんで、ネタには困らなかったね。

――地方の大会を中心にしたフットサル情報誌、という形だったんですね。

山下 あとは技術系、どうやったらうまくなるかだね。代表選手や関東リーグの選手たちに、お手本になるプレーをしてもらい、連続写真で説明するのが基本だったね。

 

▼サッカーのセンターフォワードをピヴォ……これだ!

――そして創刊から5年後、2005年にFリーグのプロジェクトがスタートします。そこから2006年に決定して、2007年スタート。ここで変化があったと思いますが。

山下 これは大変なことになったというのはあった。日本代表強化のために協会がちゃんとしたリーグ戦を始めたわけだから。夢は膨らんだね、僕らとしても気合が入るしまさに日本の夜明けといった感じで。でも、全国リーグにどう対処していいのかよくわからなかったってのもあった。

――雑誌の売り上げも一番よかった?

山下 いえ。フットサルファンは、自分がうまくなることが重要なんですよ。マイナースポーツとしては信じられない250万人ぐらいの競技人口がいる。でも、その人たちは「Fリーグ? 何それ」という感じで、あまり興味がない人も多かった。今もそうだけど。

――つまり、読者はサポーターではなく、町のプレーヤーだったと。

山下 そのとおり。「フットサルマガジンピヴォ!って何ですか」とかいわれたこともありましたよ。

――ちなみにピヴォ!という名前をなぜ選ばれたのですか?

山下 雑誌タイトルはフットサルユナイテッドとか、しょうもない名前も考えてたんだよね。でもそのときに、サッカーダイジェストをふっと見たら、真境名オスカーが2ページのフットサルページを連載してたんですよ。そこに、サッカーのセンターフォワードをピヴォっていうんだって書いてあって、これだ! って。その日に2万5,000円を持って特許庁に行って登録してきましたよ、冗談抜きで。

――当時、ピヴォ、アラ、フィクソとは呼ばれていませんでしたよね。

山下 そうですね。でもブラジルのサッカーの試合映像を見てると、センターフォワードをピヴォ、ゴールキーパーはゴレイロといっているんですよね。そこを大事にして、無理やりピヴォ、アラ、フィクソ、ゴレイロにして、フットサル文化への切り替えも仕事としてやりましたね。ヒールリフトもそれはサッカーだからオレたちは使わない、シャペウなんですよ。シャペウはポルトガル語で帽子。頭上を風で舞う帽子のように、後ろからボールが舞い上がるからシャペウなんだ。そうやってコツコツとオレたちはやってきたんですよ。

――そもそもですが、英語じゃなくてポルトガル語なんですよね、フットサルという名前そのものも。

山下 俗っぽい名前だなと思ったけど、世界共通にするにはいいネーミングだったよね。フットサルのサルはサロンそのものでインドアサッカーって意味。ポルトガル語のフッチボゥ・デ・サロン、そこからフットサルになった。ブラジルが発祥の地といわれてますね。ブラジルの小さな町の体育館でバスケットをやっている最中に、突然誰かがボールを蹴った、それがフットサルの始まり。サッカーの最中にボールを手で持ってラグビーが始まったのと同じだよね。

――細かいポルトガル語を含め、フットサルの言葉と文化を普及させたのもピヴォ!ですね。

山下 表紙を見た人は「ピヴォ!って何?」って疑問は湧きますよね。そこから、一生懸命語っていい記事ができたと思ってたら、ナビにやられちゃうんだけどね(笑)。

――リーグが始まっても売り上げは伸びなかったとおっしゃいましたが、一番売り上げがよかった時期はいつですか?

山下 リカルジーニョが来た時期。名古屋オーシャンズにポルトガルのベンフィカにいた世界のスターがなんと移籍してくる。それでシャペウはやるわ、ありとあらゆる技をあの狭いピッチで魅せる。よく観客も入ったし、本も話題になったね。

――感覚的にいうと、クリスティアーノ ロナウドが日本に来るみたいな、それぐらいのインパクトでしょうか?

山下 そういっていいと思う。リカルジーニョには本当に身震いしたね。ペスカドーラ町田戦で、ゴレイロの渡辺新一が前に出てくると読んでロビングで頭上を抜くんですよ。見てるんだ、できるんだ、結果につなげちゃうんだってね。

――彼は、2010年に来て、1回モスクワに行って、2012年にもうまた戻って来てますね。

山下 東日本大震災の影響だよね、前代未聞ですから。あの揺れは、ピヴォ!にも大きな影響があったんだ。

(「書く情熱は本の時以上」デジタルピヴォ! として生まれ変わる(デジタルピヴォ! 編集長・山下浩正)【2/3】)

山下浩正
1944年、埼玉県所沢市出身。中学で幼なじみと剣道部に入るも面が臭くて2人してサッカー部へ転部。部活は以来高校まで続ける。フットサルとは1999年、有明コロシアム センターコートで開催された全日本選手権を機に本気で向き合う。

PHOTO,TEXT・佐藤功

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